コレグス映画感想

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スレッタとミオリネの幸せな結婚:「水星の魔女」の話

この記事では水星の魔女の批評を行います.

機動戦士ガンダム水星の魔女」とは,2023年8月時点において,最新のガンダムのテレビシリーズである.分割2クールであり,他のテレビシリーズと比べると話数は半分ほどです.また第一話において主人公スレッタとミオリネによる女性同士の婚約がなされたことで話題性を集めました.本当は冒頭で色々と作品情報を紹介して然るべきなのですがこれくらいにして話を進めます.

 

ここで余談ですが,基本的にガンダム作品においては外惑星,例えば火星とか木星がよく出てきて,そういうのはガンダム作品における宇宙進出というモチーフからして,「進歩」や「発展」を表します.最終的には外宇宙に進出しますからね.だから「木星帰りの男」とか,「アステロイドベルトから戻ってきた」という言葉には自己退化みたいなニュアンスが出てきたりします.

逆に内惑星は「停留」を表します.例えばGレコには金星が出てきてそこが最終目的地だったりしますが,このことからGレコ世界の人類文明が停滞の時期を迎えていることが読み取れたりします.

とはいえ結局地球圏が舞台になるので,いずれにせよ停滞のニュアンスは出てきます.

水星の魔女もタイトルからして水星という内惑星が出てきますが,これは作中世界の停滞を表しているとも見れますが,プロスペラ,あるいはエリクトの時間が水星にたどり着いた時点で止まってしまったことを表していて,やたら進めば二つという言葉を強調するのは逆に自分の時が止まってしまったのを自覚しているからなのかもしれませんね.

 

それはともかく,とりあえず水星の魔女のテレビシリーズはすでに知っているものとして話を進めます.

今回はこの水星の魔女について,以下の図式に沿って読解を開陳したいと思います.

図式A:「水星の魔女」とは「水星の魔女という物語をガンダム作品として列する儀式」である.そして「スレッタとミオリネの結婚」は「水星の魔女がガンダム作品であること」と同値である.

図式Aをもうちょっと説明すると,この水星の魔女という作品は,兎にも角にもガンダムだと認めてほしいという作品で,その本筋以外の部分は全て背景化しているのではないかと思います.戦争シェアリングがふわふわしてるのもここらへんに理由があるのかもしれません.また,水星の魔女がスレッタとミオリネの婚約成立から始まったことを踏まえると,水星の魔女の終わりは婚姻の成立であって然るべきなので,結婚と物語の終わりが重なるのは当たり前とも取れますが,スレッタにとってデリングの家族になっちゃうこと,ミオリネにとってプロスペラ(というかエリクト)の家族になることがそれぞれ水星の魔女がガンダム作品になることと等しい事柄と考えられます.

 

まずこの図式に気がついた経緯を説明しましょう.第23話「譲れない優しさ」を見た次の日のことです.正直なところここまではこの水星の魔女という作品はまあつまらない作品という訳ではないもののなんだか変な作品だと思っていました.いや,別に今でも変な作品だと思ってます.

さてこの話において,グエルがラウダに刺されてすわ爆発かと思われて助かるシーンがありますが,これはとてもガンダムらしくない描写です.普通のガンダムの文脈だったら爆発して死んでます.なぜこのような描写になったのか?というのを考えた時に「グエルがガンダムの呪いを解いたから」だと読むことができます。実際グエルはラウダに「ガンダムなんてもう乗るな」というガンダムを否定するセリフを言いますし,シュバルゼッテの額を破壊します.このことによってグエルは「ガンダムの呪い」から逃れることができ,(これはつまりガンダムの文脈に乗らすに)生還できたということです.これは作中のガンダムに乗ったラウダのパーメットスコアを解くというのと,メタ的な意味での「ガンダムの呪い」(ガンダム作品っぽい運命を辿ること)を解くことが重ねられていて,水星の魔女がメタ的な読解を含む作品であることに気づかせてくれました.ちなみに急に勃発したグエルとラウダの喧嘩ですが,これは普通の作品だと劇中劇みたいな感じで先の展開を予感させる類の演出だと思われます.ラウダとグエルの喧嘩とスレッタとエリクトの喧嘩(?)が同じ者であるということです.それでグエルが生き残ったようにエリクトも結局生き残るという読みが出来るし,グエルがシュバルゼッテのガンダムフェイスを破壊したことと,スレッタが四機のガンダムを分解したことに対応する訳です.普通はこういう演出は時系列を前後させたり場所を変えたりしてやるもんだと思うのですが,隣同士で並列してやっているのはおそらく私は初めて見たかもしれません.ここら辺も変なアニメだと思う所以です.

まあとにかく作中ではガンダムを使った人々はガンダムの文脈に乗っちゃって死んだりしちゃうのですが,ガンダムに乗りながらパーメットスコア使わなかったエラン5号と,グエルによって呪いを解かれたラウダ,根本的にガンダムの呪いを解いたスレッタは生き残っています.

ちなみにこの「ガンダムの呪い」がメタ的な意味を持つというのは,新劇エヴァと同じ構図です。新劇エヴァの「エヴァの呪い」というのは,エヴァに心囚われた人とも読める訳です.それはそれとしてエヴァの呪いにかかると歳を取らなくなっちゃうのはかなり強い揶揄を感じますね.とはいえマリというエヴァの呪いを受けながら新劇を裏表で導いたキャラがいるので,「エヴァの呪い」の「新劇エヴァ」に対する貢献は一定程度認めているとも見れますね.

 

また同じ23話「譲れない優しさ」において,エアリアル=エリクトがヴァナディーズの祝福を受けているとプロスペラが語るシーンがあります.「祝福」と「呪い」は水星の魔女を読解する上でのキーワードです.大抵の場合この二つは同じものを指していて,「ガンダム」のことです.ここで鉤括弧がついてるのは重要で,作中の意味でのガンダムとメタ的な意味でのガンダム作品が重なっています.そしてミオリネが「私たち家族になるんだから」とプロスペラに手を差し伸べるシーンがありますが,まあここでの私たちっていうのはミオリネとプロスペラのことを指してるだけと見れなくもないですが,エリクトの事情も知っていると思うので,エアリアル=エリクトのことも家族になると言っていると思えるわけです.エアリアル=エリクトがヴァナディーズの祝福を受けているというのは作品の中だけではなく,メタ的な意味でもエリクトは「ガンダム」であるということを指し示す記号のようなものですから,それと家族になるというのは,水星の魔女という物語の最終目標は「水星の魔女をガンダム作品として列する」ことだと思ったわけです.また,ヴァナディーズの祝福(過去のガンダム作品の祝福)を受けたエリクトとスレッタたちが対立するのはガンダム作品を作る上で過去の作品との相対評価が避けられないということを表しているのかも知れません.ちなみにヴァナディーズの祝福がガンダム作品としての祝福と解釈すると,ヴァナディーズの元締めであるカルド先生とはガンダムの生みの親である富野由悠季であるという読解が可能になります.

 

とにかく,最終話ギリギリになってこのようなメタ的な読解の可能性に気がついたのです.

またこの図式Aを前提とすると,Q資料的なノリで,仮説上のアニメ「オリジナルの水星の魔女」を構想したくなります.この仮説上の「オリジナルの水星の魔女」がなんやかんやあってガンダム作品になるための物語が水星の魔女です.おそらくスレッタはこの仮説上の「オリジナルの水星の魔女」を表しており,そしてミオリネはおそらくメタ的な意味での「ガンダムの制作者」を表しています.この二者が結婚することで水星の魔女がガンダム作品になるという建て付けになっています.水星の魔女からガンダム成分をさっぴくと,おそらく「オリジナルの水星の魔女」は,仮説上の存在に過ぎませんが,スレッタが留学をして地球を一度も訪れずに(後に説明するように地球=だいたい「ガンダム」であるが故に.)水星に学校を作って終わりというストーリーになっていたかも知れません.

 

以上では主にガンダムの呪い,祝福がメタ的な意味でのガンダムと同じであるということを説明しましたが,実はこれ以外にもメタ的に読めるところはいろいろあります.

戦争シェアリング=アナハイム,地球=宇宙世紀ガンダム

水星の魔女に出てくる戦争シェアリングを覚えているでしょうか.公式ホームページにも説明がありますが,なんていうか説明がかなりふわふわしてて何がやりたいのかよくわからない概念です.まあなんとなく兵器(モビルスーツ)を売って儲けようという話で,どうやらアナハイム的なスキームをやろうとしたけど色々間に合ってない感じがします.アナハイムみたいなやつっていうのはTwitterでもよく言われているのですが,上の段で水星の魔女はメタ的な読みが可能ということがわかっていますからそうしてみましょう.戦争シェアリングがアナハイムの比喩ならば戦争シェアリングを仕掛けられている地球は何に該当するのでしょうか?これはおそらく宇宙世紀ガンダムのことだと思います.もしかしたら一般に「地球」は既存のガンダム作品のことを指しているだけかもしれません.地球の中の話がやたら辛い話が多いのも宇宙世紀ガンダムの比喩だからかもしれないし,ソフィとノレアが辛い死に方をしたのも,宇宙世紀の使者だからという見方ができます.スレッタ(オリジナルの水星の魔女)が地球寮に迎え入れられるもの,水星の魔女をガンダム作品にしたいという意思の表れと見ることができます.

またスレッタが結局最終話まで地球に降り立っていないことも象徴的です.主張Aの元において物語の完結とは水星の魔女がガンダム作品になることであり,それはスレッタ(水星の魔女)が地球(過去のガンダム作品)に降り立つことと同じと見做せるからです.

ベネリットグループ=バンダイナムコ,デリング・レンブラン="矢立肇"

戦争シェアリングには別の見方をすることもできます.現実においてモビルスーツを私たちに売り渡そうとする会社があります.バンダイナムコのことです.ベネリットがバンダイナムコの比喩だとするとデリングは"矢立肇"になります.矢立肇というのはサンライズ(今はバンダイナムコフィルムワークス)の共同ペンネームであって,ただ単にサンライズ製というのを表すもので特定の誰かのことではないのです(要はブルバキみたいなやつ).まあここではバンダイナムコを擬人化したようなものだと思えばそれでいいというか,私もその程度としか思ってないです.

まあガンダムをメタ的に読む場合には00ではイオリア・シュヘンベルグ富野由悠季みたいな感じで大体偉い人は富野由悠季だとと言われがちですが,デリングは"矢立肇"だと思います.なぜならデリングは別にガンダムを作ってるわけではないからです.

最初の方でも説明しましたが、おそらくカルド・ナボ=富野由悠季であって,ヴァナディーズ事変はサンライズ(当時)の売却騒動のことを表しているのかも.

ベネリットグループがバンナムのことだとすると,戦争シェアリングはガンダムの訳わからん外伝作品を作りまくるバンナムの経営戦略のことを指しているのかもしれませんね.外伝作品を作るということは,少なくともその当該作品の中で戦争を「作り出す」ということに等しいですからね.

デリング="矢立肇"とすると,第二話の魔女裁判で「あれはガンダムだ」と言ったことにようわからんが深みが増します."矢立肇"がガンダムだといえばなんでもガンダムになるということです.ちなみにガンダムを実際に作ったカルド先生=富野由悠季ガンダムであることを宣言できるデリング="矢立肇"が分離しているのは,富野監督とバンナムの関係性をメタファーしているのかも知れません.まあつまり,「制作者」と「決裁者」は別という話です.

ちなみに図式Aにおいて水星の魔女がガンダムであることとスレッタとミオリネの結婚が同値だと言いましたが,ある意味で水星の魔女がガンダム作品であると始めて実行力を伴って宣言したのはデリングなので,間接的に水星の魔女では一番最初に"矢立肇"にスレッタとミオリネの結婚を祝福させていることになります.

 

2人の結婚とガンダムを結ぶもの

ここでもう一度スレッタとミオリネの結婚が水星の魔女がガンダム作品になるということ同じなのかということを見ていきましょう.

スレッタ(オリジナルの水星の魔女)はオリジナルの水星の魔女を表しています.作中でも彼女自身それ自体はガンダムとは無関係に描写されています.例えばエアリアルガンダムであることを知らなかったり,そもそもガンダムのことがあやふやだったりする描写があります.彼女以外の彼女の身内が実態としてガンダムなのです.そしてミオリネやデリングは,ガンダムであることを宣言できる者です.この2人は本当に気ままに何かしらのことを内実を無視してガンダムであると宣言できるしそれが実行力を伴います.デリングについては「あれはガンダムだ」発言があるし,ミオリネは自分の会社にガンダムと名前をつけています.スレッタはガンダムあんまり関係ないもので(なぜならオリジナルの水星の魔女だから)で,ガンダムを宣言できるミオリネと婚約することでやっとガンダムの関係者になり始めるというややこしいキャラです.とにかくこの実態としてガンダムであるマーキュリーの一族,あるいはその一族でありながらガンダムのことあんまり知らないオリジナルの水星の魔女であるスレッタと,ミオリネ,および彼女の,ガンダムであることを宣言できる一族が合一することで名実ともに水星のの魔女がガンダム作品になるということになっていると思われます.

ミオリネはガンダム作品の制作者のメタファーなのかもしれません.そのミオリネがスレッタ(オリジナルの水星の魔女)を守るために株式会社ガンダム(おそらくこの会社は水星の魔女のガンダム成分のことを指している)を作るということと,デリングが「あれはガンダムだ.私がそう決めた」発言をしたことなどを踏まえると,もしかするとオリジナルアニメを作ろうとしたけどガンダムでやってくださいって言われた経緯などがあるのかも知れない.

まあとにかく,なぜなのかは知らないが,この水星の魔女という作品は水星の魔女がガンダム作品であるということとスレッタとミオリネの結婚を同値であるように物語の中で結びつけることによって彼女らの結婚を強力に保護しようとしているように見えます.

 

過去作品のオマージュについて

終盤になるにつれて過去のガンダム作品のオマージュが増えるのは,とにかくこの水星の魔女という作品をガンダム作品として成立させたいという強い思いから行なっているのかも知れないです.例えばフェンシングはファーストのオマージュだし,最後ら辺とかユニコーンのオマージュだらけです.エラン4号もフォウ・ムラサメ(フォウ=4=four)のオマージュでしょうし,ガンダムXのGビットはガンドノードとかになってるし,ガンダムのシェルユニットはユニコーンのフルサイコフレームの引用デザインだし,ガンビットはダブルオーのGNビットの引用だと思います.クアンタがビットでバスターソード(大剣)を形成するのに対して,こっちのガンダムはビットでエスカッシャン(盾)を形成します.ところでサイコフレームコクピットの周りにはっつけるだけで追従性が上がる謎の物質なのですが,このようなことができるのであればサイコフレームで便利な義手を作れるんじゃないかと思える訳です.そこから逆算して義手医療のGUND技術の延長としてモビルスーツを身体の拡張とするガンド兵器(ガンダム)が設定されているような気がします.

また所々ガンダムの呪いとか言ってる場面は,「ガンダムって作るの難しんだよね」って愚痴ってるシーンということなのかもしれない.

テンペスト

よく言われているように水星の魔女はシェイクスピアテンペストがモチーフです.なぜテンペストがモチーフなのか?という問いに図式Aを用いて回答しようと思います.

この水星の魔女という作品の中心とは,上で見てきたようにスレッタとミオリネの結婚であり,そしてそれは水星の魔女がガンダム作品になるということと同じことです.嵐,テンペストというものは嵐の中心とその外側とを隔てる一種の結界です.その意味でテンペストというモチーフでスレッタとミオリネの結婚を強力に保護したのかも知れません.

あるいは,水星の魔女はテンペストという劇の結末を引用したかったのかもしれません.テンペストの最後は観客の承認によって終わる物語であり,図式Aを前提として水星の魔女というお話は観客に「この作品をガンダムと認めるのか?」と暗に問いかけているのです.そして水星の魔女をガンダムと認める(祝福=「ガンダム」)することはスレッタとミオリネの結婚を祝福することと同義なのです.少なくとも最終話のタイトルが「目一杯の祝福を君に」というのは制作者たちはこの作品をガンダム作品として承認しているし,スレッタとミオリネの結婚を実際祝福しているとみなせます.

 

ところであなたは水星の魔女を祝福しますか?

 

追記

1. 批評という言葉を嫌わないでください.

2. 素直に水星の魔女を見るとスレッタとミオリネは結婚していることがわかります.とはいえ(個人的な好き嫌いは抜きにして)(個人的な好き嫌いは抜きにしてとわざわざ書いてることから私がどのように思っているのか分かってしまいますね)2人が結婚してないという見方も可能ではあります.このように言いつつもスレッタの初恋がエラン4号であるとかはこれはそこそこ説得的な見方だと思います.

まあもしかすると観客の承認によって終わるテンペストを引用しているから結婚しているかどうかも観客にお任せしているのかもしれませんが,それはなんだかなあ.

3. 全てが背景化する!

水星の魔女は変なアニメです.何がどうしてこうなったのか知りませんが少なくとも図式Aを前提にするのなら水星の魔女がガンダム作品になることしか目標にしていなくてソレ以外のことはかなり背景化していると思います.背景化してるっていうのはまあ全然深く考えてないってことです.例えば水星の魔女なのに水星の描写がマジで全然なかったり,戦争シェアリングがかなりふわふわした概念になっている事などです.結局地球と宇宙の格差って何?みたいな.製作者は水星の魔女をとにかくガンダム作品にするという事以外考えていないように見えます.

4. ガンダムを超えなくて良かったのか?

ガンダム00では,ガンダムを超えたガンダムが出てきてそれにはガンダムの名前が冠されなかったりして,劇場版では既存のガンダム作品を超えたことをやっています.水星の魔女は,図式Aを前提するなら,ガンダム作品になることが目的なのですが,ガンダムであることだけにとどまってガンダムを超えなくて良かったのでしょうか?おそらくこのような批判は正しい意味での「ガンダムの呪い」になるのでしょう.

5. 今のところの話1

最終話で分解されるエアリアル,シュバルゼッテ,ファラクト,キャリバーンが英国式サムシングフォーを表しているとかいう話が放送後一週間後くらいに出てきました.歴史の一つとしてここに記しておきます.

6. 今のところの話2 

月刊ガンダムエース2023年9月号でのインタビュー記事について.当該号におけるガンダムエース電子版においてオフプリント版にはあった結婚の文字が消去されていました.また水星の魔女公式Twitterでも当該事実を認めてアナウンスを行っています.

https://twitter.com/g_witch_m/status/1685628114125340672?s=46&t=q9MbzGU3OwryvQuhYDtg2w

7. 同性婚

Twitterの公式アカウントで多少でもいいから現実の同性婚について何かしら,まあプライド月間にでもかこつけて何か発信するべきだったと思います.これは私が第一話の時からずっと言い続けていることです.まあ「結婚」という言葉程度のことをかなり意図的に避けているところを見ても,バンダイナムコという会社にとってなかなかかなり無理な願いだったかもしれませんね.残念です.

8.キービジュアル.

水星の魔女のキービジュアルでは主人公機であるエアリアルが逆さまになって配置されています.こういうデザインは面白くて好きです.こういう感じはそのまま継続してやっていって欲しいです.

またこれはターンエーガンダム以降の強い傾向だと思うのですが,ガンダムフェイスというものの解釈の幅がかなり進んでいるように思われます.こういうのも好きですのでどんどんガンダムフェイスの解釈の幅をどんどん広げていって欲しいです.